「月刊gcj」2008年5月号 掲載記事 日本グラフィックコミュニケーション工業組合連合会
の機関誌「gcj」の08年5月号中において、
「gcj persons」というコーナーで、大阪のアートディレクターとして、大阪のDTP業界事情と私のプロフィールを取材して頂いた、3ページ分を掲載

2008年3月20日 取材・文 藤川 章




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小森 じゅん子 KOMORI JUNKO


小森じゅん子さんは、大阪で確固たる地位を築いている女性グラフィックデザイナー。
雑誌デザインの制作、ロゴやリーフレット、ポスターなどの印刷媒体のトータルブランディング、雑誌・書籍への執筆などと、八面六臂の活躍をされている。企画からデザイン全体を取り仕切るアートディレクターが本業とのこと。
トータルブランディング(ブランド構築)できるデザイナーとして直接指名を受けることも多い。「デザインは人と人が切磋琢磨して作り上げていく要素が高い」という小森さん。
グラフィックデザインに対する考え方、仕事の取り組み方など、さまざまな観点から話を伺った。





顧客と共に作り上げ、自らも制作を楽しむことが大事

------ グラフィックデザインの道に進まれたきっかけは?

小森 役者を目指そうと、舞台芸術学科のある大学に進学したかったのですが、事情により、大阪デザイナー学院に進みました。
デザインは高校生の時から興味を持っていましたが、横尾忠則さんがデザインされた寺山修司さんの天井桟敷の劇団のチラシを見たのがきっかけでした。そのチラシがあまりに素敵でしたので、デザインの仕事がしたいと思ったわけです。専門学校を出た後は、大阪市内のデザイン会社に就職しました。
当時はバブル全盛期ということもあり、次から次へと仕事が舞い込んでくる状態で、毎日、デザイン部で指定原稿を何枚も何枚も作って。


------ 版下制作の大変さが窺い知れます。身を粉にして働かれていたわけですね。

小森 ええ。とくに不動産会社のパンフレットや新聞広告制作の仕事が溢れていて、帰宅できない、寝られない、という日々が続いたのを覚えています。
師匠として仰いでいた上司に「末端の仕事ばかりしていても良いデザイナーになれへんよ」と言われたこともあり、それに、元々雑誌のデザインをしたかったので、1年半ほどで会社を退職しました。
やはり自分がやりたい仕事をするのが一番ですからね。
それで京都の出版社に転職し、デザイン制作部主任として京都の情報を伝える専門誌『クラブフェイム』(現京都CF)の制作を任されました。




出版社勤務12年間で、雑誌作り250冊を超える

------ いきなり、一人で制作部を任されたのですか?

小森 はい。実は私のほうから制作スタッフの募集の有無について電話したわけです。すると「制作部はありません。とりあえず話を聞かせてください」ということで訪問したところ、「それじゃ、君に任せるから制作部を作ってみますか」となったのです。ですから、最初からアートディレクターの立場で雑誌づくりをはじることになったわけです。外部のデザイナーが付くこともありましたが、基本的には1冊丸々1人でデザインしましたね。
しばらくして『ナショナルGEOグラフィック日本版』や全国誌のデザイン制作も携わり、結局、12年間在籍して、制作した雑誌数は250冊を越えました。


------ 12年間の経験というのは大きなものがあったのでは?。

小森 もちろんです。2003年に独立するまで、さまざまなことを吸収しましたし、素晴らしい経験をさせていただきました。任されているという責任感と倒れることができないという緊張感が常について回っていましたが、辛いことだけでなく、楽しいことも多々ありました。
仕事だけでなく人間的にも成長できたと思っています。大きな財産として残っています。


------ 雑誌のデザインはどのように臨まれるのですか?

小森 読み手にとって気持ちよい、読みやすいデザインにすることは重要です。それに不可欠なことは読者のターゲット層を意識したデザインにすることでしょうか。
ただ、制作に携わるうえで自分が楽しめない仕事は良い仕事ではないと思っていますから、企画から制作、進行全てにおいて楽しめるように心掛けています。これは雑誌に限らず、他の仕事でも同じ事が言えます。


------ 03年に独立され、大阪に事務所を設けられてからは?。

小森 雑誌デザイン中心の仕事から、京阪神エリアに仕事を拡大しましたので、いろいろな企業から仕事を受けましたね。ダイハツ工業さんの販売会社向け雑誌とは創刊から携わりましたし、併せてポストカード、DMなどの制作も行いました。
実は96年に前の会社とフリー契約し、年俸制になり、出勤に関しては自由になり、他の仕事を請け負う機会が増えたのです。
京都の店舗や京都市関連の印刷物を100点以上はしたでしょうか。ですから、90年代後半から独立していたのと変わらない状態でしたね。
最近は、阪急不動産の広報誌や、ダイハツ工業株式会社のインナーインセンティブ事業や、店舗デザインなどのコーディネイトに関わっています。
最近は、お客様から名指しで仕事をいただくことが増えていて、お陰様で営業活動はしなくて済んでいます。


------ DTPとの出会いは?

小森 前の会社で92年頃に、Macを導入したのがDTPとの最初の出会いですね。仕方なく、独学で操作を覚えましたが、とにかく制作効率が悪かったです。文字組が思い通りに組めない、綺麗な組版ができないといった感じで、使い勝手が悪いという印象があります。
しばらくはアナログとデジタルの混在が続きました。98年頃になって、DTPで制作できる体制になったように思います。版下制作によるデザインをしてきましたから、DTPに対して違和感は拭えませんでしたね。
DTPが普及していく過渡期で、さまざまな状況下で問題も発生していました。とくにフォントの出力環境が限られていたため、デザインでは支障を来たすことも多々ありました。近年になって、ようやく満足できるものになってきたと言えるでしょう。


------ デジタル化がデザイナーに及ぼした影響は大きかったのでは?

小森 危惧されることは、今日ではデザインはDTPでするものであり、DTPが使えないデザイナーは必要ないという風潮が蔓延していることです。本来、グラフィックデザインは基本的には手と頭でするものであって、DTPは道具に過ぎないわけですからね。かつてアナログで仕事をされていた有能な先輩デザイナーは、デザイン業界から放り出されています。それが残念でなりません。


関西はアートディレクションできるデザイナーが少ない

------ 今と昔では、デザイナーに対する見方が違ってきているのでしょうか?

小森 
いまはDTPを持っていて操作できれば、肩書きに「デザイナー」の文字を入れる人が増えています。真っ先にコンピュータが使えることが条件となり、使えなければならないという考え方になってきていますね。
でも、それには抵抗感があります。プロのデザイナーは、コンピュータの中だけでなく、もっとやらなければならないことがあると思います。
例えば、商業デザインとしてのデザインとは何であるとか、あるいはお客様のニーズに応えることであるとか、延いてはお客様とコミュニケーションを取って、より良いデザインを提案するとか。もっと自分を磨いていくことがあると思います。


------ なるほど。現在はアートディレクターの仕事が多いとのことですが?

小森 
ケース・バイ・ケースですが、印刷物をコーディネートから受注し、企画を私のほうで考えて、中身の骨子をプランナーに書いてもらう仕事が多いですね。そういう仕事にシフトしていることもありますが…。
ページネーションされた企画案をクライアントさんに見ていただき、納得されてから私のほうで制作スタッフを人選し、仕事に取り掛かっていく方法を採っています。
とにかく、関西では企画からしっかりとディレクションできるアートディレクターが少ないです。クライアントと制作の真ん中に入ってクリエイティブな話ができる人がいないのが現状で、それがネックになっています。
東京との違いは、デザイン市場の大きさだけでなく、アートディレクションできるデザイナーが少ない点もあります。


------ デジタルハリウッド大阪校で講師もされてらっしゃいますが?

小森 担当している授業は、総合Proコース・DTPアートディレクター講座で、アートディレクションできる人材を育てるために実践的なことを教えています。20代後半から30代後半の方が多いのに驚きました。この業界に転職したいという人が多いという事ですよね。

------ 関西のグラフィックデザインの市場は

小森
 厳しいですね。京都で仕事をしていた時は、まだ任天堂、ワコール、京セラなど京都発の大手企業からの仕事がありましたが、関西圏の企業の多くが東京へ本社を移転されたのでディレクションの入る仕事が減って行きました。
私の仕事も今では半分近くが東京の仕事で、ネットでのやり取りが増えています。
担当者の方と一度も会わずに仕事をするケースもありますね。また、広報誌や会報誌の作り方が、硬い文章による難しいものよりも、柔らかい雑誌風の誌面を望まれるお客様が増えています。
さまざまなニーズに対応していくことがデザイナーに求められています。


------ 仕事の方向性とスタンスは?

小森 広報的に有効なディテールで媒体を提案するトータルブランディング(ブランド構築)をメインに、TVCM、映像制作、プロダクトデザイン分野まで、幅広く展開していければと考えています。
お客様と共に練り上げ、より良いモノに仕上げていくことだけでなく、お客様に制作工程を楽しんでいただけるようにすることです。
作る側が楽しんでモノを作らなければ、お客様には良いイメージで伝わりません。いつもそのことを念頭に置いて仕事をしています。



Profile of 小森じゅん子

京都市出身。大阪デザイナー専門学校 編集デザイン科卒業。(株)AD Actionに所属。90年京都市の出版制作会社(株)フェイムでデザイン制作部主任に就く。月刊誌のアートディレクターとして12年間在籍、総制作雑誌数は250冊を超える。「NTT全国タウン誌フェスティバル」で最優秀大賞、編集賞など数度受賞。03年デザイン事務所「Sasquatch Design Inc.」を設立。大手企業・店舗の媒体を中心に制作。最近は新店舗のブランディング、ナムコランドのキャラクタープロデュース、携帯画面の商品開発への参画、TVCM制作など多岐に展開。デザイン雑誌や書籍などへの作品提供、執筆。デジタルハリウッド大阪校DTPアートディレクター講座の講師も務める。